振り返るとき

現在、67歳になって、振り返るとき何をしてきたのだろう

15歳で岩手県から上京し、小さな町工場で三畳一間のプレハブで住み込みの修行を始めた。

給料は2万円、休みは第一と第三の日曜日だけ、毎日朝の8時から夜の11時までの仕事。

負けたくなかった、高校や大学に進む同級生が、うらやましくて悔しく、一人前の職人に一日も早くなりたくて見返してやりたくて

がむしゃらに生きてきた、診察用医療器を作っている会社で真鍮鋳物の加工が主だった、やすり掛け・ロー付け・半田付け・ロクロでの削りやねじ切り

鉄バフと呼ばれる金剛砂を塗ったものでの荒研磨・、布バフでの仕上げ研磨、板から金敷でパイプを作ったりしていた。

母に楽をしてほしくて給料の半分を仕送りしていた十代、遊びもしないで必死で修行していた。

20代で自宅を購入、独立して工場を経営していたが30代で倒産してしまった、借金を肩代わりしてくれた得意先で働いて、その後友人に請われやはり製作現場で働いた。

時代が違うと技術改革だといい、やすりをグラインダーにロクロを旋盤、フライス盤に変えてみたり、

コンピューター搭載の旋盤やフライスを独学で覚え、コンピューターの言語を必死で覚え、三角関数や重量計算のプログラムを作ったりしていた。

ものつくりが好きで新しい技術や機械について必死で勉強をした。

現在も安くて安価な機械が出回り、3Dプリンターやレーザー加工機、CNCフライスの勉強をしている。

この歳になって、DXFやSTL、SVGを覚えるのが楽しい、根っからの物つくり大好き爺だ。

65歳で定年を迎え、自分で工場を始めた。

他には何もできない爺だから、只々老いてゆくのが嫌で、請われるままに仕事をしてきたが、今仕事が無くなったどうすればいい、今更勤めにも行けないし借金が重くのしかかる

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CADでなぞった刀の鍔、ステンレスでレーザー加工をした

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孫が書いてくれた私の絵、ちなみの孫の名前は來未(くるみ)